大切な趣味

こんにちは、松村です。

私は、趣味でブラジリアン柔術というものをやっておりまして、週1~2回ですが近くの道場に通っています。

はじめたのは30代半ば、学生時代から格闘技を見るのが好きで本当はずーとやってみたかったのですが怖いという理由がひとつ、もうひとつは、かなり怖いという理由で、ついついその年齢まで先延ばししてしまいました。
きっかけは自身の体力の衰えの自覚です。30代に入りこの先体力が落ちる一方で、何か運動をはじめるにも1年、2年後ではおそらく腰があがらないだろうという予感がありました。まさに「いつやるの」という状態だったと思います。

そしてすぐさま当時の勤務地の近くにあった道場に思い切って入門することにしました。(見学にいったときは大人なのにブルブル震えたのを覚えています。)

それからもう10年近くでしょうか、何回かブランクをあけ、場所を変え、週1回にもみたない練習ペースになったりもしながら、なんとかほそぼそと続けることができています。そして今では自分にとってかけがえのない唯一といっていい趣味となっています

ブラジリアン柔術は、最近でこそ知る人ぞ知る「イケ」てる格闘技で、セレブやインテリに大人気のフィットネスでもあるそうです。
良いフィットネススポーツかどうかは別にして、技術要素が強く、ゲーム性が高い非常に奥深いスポーツだと思います。
好みはわかれると思いますが、ハマる人はとことんまでハマってしまい何をしていても柔術のことが頭から離れないようになるようです。

そんな「柔術」ですが、ずっと続けていると柔術を通じてまったく別のことのインスピレーションや自分に対する新しい理解、他人とのかかわり方に関する気づきなど、そういった別の「良いこと」が柔術を通じてもたらされることに気づきます。
もしかしたら別のスポーツや武術でもそうなのかもしれませんが、柔術はそういった面がより強いように感じます。

格闘という厳しい状況設定の中で技を広げ、研ぎ澄まし、機をのがさず、あるときはあきらめ、あるときはあきらめないで踏ん張り、その繰り返しの中で判断する力が養われる。無数の種類の「強さ」がありその中で自分なりの「強さ」を作り上げる難しさ、その難しさに真摯に向き合う道場生たち、その人たちとのつかのまのコミュニケーション。汗だくになって息をつきながら水分補給をし、座り込んで始まっている他の人たちのスパーリングをみながら、さっきまでの自分の闘いを反芻する。

そういったシンプルに厳しくてすがすがしい状態を繰り返し経験すると、ふとした瞬間に心が整理されて、悩んでいたことやひっかかっていたことに素直に向きあえる自分に気づくことがあります。柔術をやっているとそんな瞬間を数多く経験するようになります。スパーリングや試合している他の人の真剣なまなざしに感化されるのか、純粋なストレス発散によるものなのかわかりませんが、それらが自分には生きることにおいてとても大切なことのように思います。

なんといいますか「たたかいの中に安らぎを見出す」ことが自分の中にイメージできるようになる、と言うのでしょうか。
ちょっと違うかもしれませんが、いわく言い難い不思議な感覚が得られる気がします。強い人はほぼ例外なくなにか落ち着いた静けさみたいなものを醸しだしているので、当たらずとも、といったところだと思います。

私は達観するにはいたっていませんが、願わくば、ケガすることなく老いても若い人に Let’s roll ってさそわれるような良き柔術プレイヤーであり続けたいと願っています。

みなさんにも「良い時間」をもたらしてくれる趣味があると思います、その時間を大切にして、できるだけ長くそれが続けられるような努力をしてください。お身体の不調でそれがかなわないとお考えなら、カイロプラクティックでお役にたてることがあるかもしれません。そんな時はお気軽にご相談ください。

 

初出場の試合で大敗の図。

まつむら